「爆竹ってなんでずっと存在し続けられているのだろう。」
今日、ふとニュースを見ているとそんなことを思った。そのニュースの内容は、長崎県で開催された精霊流しのイベント中に、若者3人が爆竹を路面電車の前にばらまくという危険行為についての報道だった。
死者を弔うイベントや路面電車の運行の妨げとなる行為は断じて許せないのだが、そもそも爆竹って何が面白いのだろうと、そっちの方が気になってしまった。
爆竹のイメージと言えば、やんちゃな中学生や高校生が夜の公園で鳴らしているうるさいものであり、あまりいい印象はもっていない。中国では春節のお祝いとして爆竹を鳴らすのは有名だが、日本ではその文化がない。爆竹同様に火をつけて大きな音がするものに花火があるが、あれは綺麗な光を放つ目的があり、その光は鑑賞用としての価値があるため迷惑ではない。
爆竹はうるさいだけなのだ。
なぜ、うるさいだけの爆竹が市民権を得て、やんちゃな若者を中心にデカい顔をしているのかが分からなすぎる。
爆竹の裏に強力なバックが付いているのだろうか。
胡散臭いプロデューサーとか老舗プロダクションのごり押しで業界に割って入っているのではないだろうか。
たまにバラエティを見ていると、「何で特にこれと言った武器が無いのに番組に呼ばれているのだろう」と思うタレントに出会うことがある。
それだ。
爆竹=ごり押しタレント
この方程式なのだ。
そうでないと、やはり爆竹が日本の文化に割って入っている理由が分からないのである。音が大きいだけなら爆竹じゃなくてもできる。代替可能なものなのだ。
爆竹には芸がない。
エンターテイメントとして成立していない。
特段爆竹に対して恨みつらみは無いが、そんな架空の背景を考えてきたら無性に腹が立ってきたし、ひな壇で何の仕事もしないタレントにも腹が立ってきた。
今後、そういうタレントをテレビで見つけたら『爆竹タレント』、そう言おうと思う。