自分はとにかくだらしない人間である。
20数年の人生において、何一つ長続きしたことがない。そのくせ、好奇心は旺盛なので手当たり次第に手を出しては三日坊主に終わる。ここまで三日坊主が続けば、三日どころではなくただの坊主の可能性も浮上してきている。出家しようかな。
自分がだらしないと思うのはそれだけではない。母親がたたんでくれた洗濯物をいつまでも自分の部屋に持っていかなかったり、書類や課題の提出期限をオーバーしたり、時間泥棒のアプリを消した次の日には再インストールしていたり。チュートリアルの徳井さんの事件の時、(もちろんダメなことだが)親近感を覚えるほどである。とにかくだらしがない。だらしがなさすぎる。だらしがある人生に生まれたかった。だらしを買いたい。求・だらし。
まぁ、そんな具合にだらしがないゆえに、因果応報な出来事が起こってしまう。
バイト終わり、帰路の途中にある図書館に寄った。これまでもバイト終わりに度々寄っていて、調べ物をしたり、課題に関する本を読んだり、趣味に関する本を読んだりと身になるうえに時間もつぶせる図書館を重宝していた。気になる本があれば3冊程度借りて、家に帰ることも。
しかし、自分は先ほども書いたようにだらしをリリースしてしまった情けない男である。家に帰れば、Wi-Fiが飛びまくっているので、結局アプリゲームをして、全然見るつもりもなかった動画を2、3時間見て、本なんて全く読まない。しまいには図書館の返却期限は2週間で返却日を1か月超すとその日数分次の貸し出しが出来なくなるのだが、気づけば1か月をとうに超えており、慌ててカバンの中で熟成された手つかずの本を返しに行く、なんてことがざらにある。
前回もさくらももこ、沢木耕太郎、山崎ナオコーラのエッセイを借りたのにもかかわらず、ほとんど読まずに1か月ちょい遅れで返しに行っていた。
そして今回、前から気になっていた星野源「働く男」を借りに図書館へと出向いた。お目当てのコーナーは奥の棚だったが、入るや否や図書館のオススメ本コーナーにせきしろ、爪切男のエッセイもあり、それも手に取った。星野源、せきしろ、爪切男、そして又吉直樹の本を4冊携えいざカウンターへ。
財布から利用券を取り出し、バーコードを読み取ってもらう。
「ぴー---」
5歳児でも分かるダメな音が静かな図書館に鳴り響いた。
「すみません、以前返却が遅れたりしましたか?」
司書さんが優しく尋ねてくる。
「そうですね、前回遅れました」
「返却期限を過ぎてしまっていたので、今は借りれません」
しまった、と思った。自分的には1か月以上遅れてしまったのは申し訳ないが、延滞日数分は何も借りずにおとなしくししていた。だいぶ前回の貸し出しから空いたので、てっきりもう解除されているものだと思って意気揚々と本を差し出していた。
めちゃくちゃ恥ずかしかった。赤ちゃんでも分かるダメな音を静かな図書館に響かせてしまったこともそうだし、借りれて当たり前みたいな顔をして本を提出していたことも哀れで仕方なかった。
今日は借りれないとなってしまったので、
「いつから借りれるようになりますかね?」
と聞いてみると、司書さんが何やらもごもごしている。
「貸出不可の期間が9月3日までとなっております」
9月3日。今日である。
凄く気まずい空気が流れた。
「ちゃんと返さなかった自分が悪いんですけど、今日ならなんとかなりませんかね?」と言いたい自分と、「個人としては今日ならなんとかしてあげたいけど、ルールで決まっているので」と言いたい司書さん。
互いの申し訳ない目線が、空中でへにょへにょとぶつかりあっていた。
しばらく見つめ合ったが、もちろんどうにかなることもないので、「そうですか。では、また明日借りに来ます」とあたかも相手側のミスで借りれなかったものの、大人の余裕を見せつけるために寛大な心で許してあげている、かのような捨て台詞を吐き帰ることとなった。
胎児でも分かる因果応報。
今回、自分のだらしなさのせいで、司書さんにも申し訳ない思いをさせてしまったことはとても反省している。今日を機にだらしない生活とはおさらばである。
ただ、「今日あった出来事なので家に帰って早く書かねば」と思っていたのだが、家に帰ってからのんびりとTVerで『テレビ千鳥』を見てしまっていたので、自分のだらしはしばらくないままだろう。
(借りようと思ってた本=明日借りる本)