書書鹿鹿 ~かくかくしかじか~

"かくかくしかじか"と読みます。見たもの、聞いたもの、感じたことを書いてます。

診断結果

「先輩って、ずっと怒ってますよね?」
大学3年生になったある時、何気ない会話の中でサークルの後輩からこんな言葉を投げかけられた。
「いや、全然怒ってないよ」
もちろん、そう言い返す。心当たりがないからだ。もし、自分が常日頃からこぶしを振りかざしながら「腹が立つやつはいないか~」となまはげスタイルで怒りをぶつける場所を探していたとしたら、素直に怒っていることを認めるだろう。ただ、自分は“なまはげ”でもなければ“半なまぼうず”でもない、しっかりと火の通った“ゆでちょくもう”である。“なまはげ”とは比べ物にならないほど優しいと思っている。それに、自分は高校生の時にあった友達との喧嘩以来「なるべく怒らないようにしよう」と決めたことがあり、かなり実践できていたつもりであった。ずっと怒っているなどと、びしょびしょの濡れ衣にそでを通すほど馬鹿ではない。
「なんで?」
後輩に聞いてみた。
「だって、いつも『何してんねん』とか『何言ってんねん』とか言ってるじゃないですか?」
「いやいやいやいや。それはツッコミやんか」と言いかけて止めた。その代わりに、「たしかにな」とだけ答えた。

 

全く自覚がなかった。が、確かに今までの人生で『何してんねん』と『何言ってんねん』はかなりの回数言ってきたと思う。そうか。この2つの言葉は、関西人にとっては当たり前のツッコミワードだが、活字にしてみると怒ってるともとれる。
高校生の時に決めたのは「なるべく怒らないようにしよう」ではなく、「なるべく怒りの対象をボケとして捉えよう」だったのだ。誰かが自分に対してちょっかいをかけてきた時も、ちゃんと怒っていた。誰かが迷惑をかけるミスをした時も、ちゃんと怒っていた。それを怒りに変換しないでボケとして捉え、ツッコミで消化していただけだったのだ。
「それと先輩、正月に対しても怒ってましたよね?」
たしかに自分は正月に対して怒っていた。厳密に言えば正月ではなく、年越しに怒っていたのだ。

「早よ来いよ」
大晦日、まだ来ない新年相手にたしかに自分はツッコミと言う名の怒りをぶつけていた。年越しを前にすることなんてたかが知れている。家の大掃除ぐらいである。しかし、自分は実家の建て替え工事に伴い12月に仮住まいに引っ越したばかりだったので、全くと言っていいほど散らかっていなかった。大晦日も午後5時ぐらいにはお風呂に入り、7時ぐらいにはもう年越しそばを食べていたのだ。やることはもう全て終わっているのに、なぜ待たなければいけないのか。集合時間のちょっと早めにくることもできない新年は、どうせ友だちも少ないし、上司からの信頼も薄いに決まっている。恋人との待ち合わせにピッタリの時間に着いて、「別に遅刻してるわけじゃないから悪くはないんだけど、早めに来ておいて欲しかった」というモヤモヤが原因で別れるに決まっているのだ。

 

これほど新年がなかなか来ないことに対してのみで、これほどの文量を書けてしまうのだから、やはり自分は怒っているらしい。

そういう診断結果が出てしまった。

ただ、怒りをボケと捉えるライフハックは今後も使えそうなので、怒りとどつき漫才しながら生きていこうと思う。

終始何言ってんねん!