書書鹿鹿 ~かくかくしかじか~

"かくかくしかじか"と読みます。見たもの、聞いたもの、感じたことを書いてます。

自転車から見たキラキラ

「高校の3年間」と聞いて、人間は2パターンを想像する。

”最高の3年間”か”最悪な3年間”

自分はそのどちらでもないような気がする。

”なかった3年間”

そんな風に思っている。

別に高校が楽しくなかったわけではない。友達ができなかったわけでもなく、いじめられていたわけでもなく、部活も1年だけ陸上部に入っていたし、恋人もいたこともある。バイトでお金をためて観たい映画を観て、ライブに行って、演劇を観に行って。とにかく趣味にも時間をかけられた。

ただ、学校生活に関しては4、5年経った今、どんなことがあったか思い出そうとしても特に思い出すこともない。高校時代の同級生と卒業後ほとんど連絡もとっていないため、どんどん薄れてきている。

それなりに3年間を過ごしてしまった気がする。

さっきから「気がする」としているのは、別にそう生きてしまったので正解も不正解もないのでしょうがないという想いと、高校時代の自分に対する配慮なので別に気にしなくてもいい。

今でも本気で高校生活を送っていた人に対する少しの妬みとかなりの憧れがある。

もう取り戻せないから。

 

いきなりだが、自転車を買いに行った。

中学の時に手放して以来一度も持っていなかったし、歩くのが好きだったので問題なかったのだが、バイトで片道25分を使っているのはやはり時間的にも無駄だし、スーパーで買い物して帰ったりすると荷物が増えてしんどいので21になって久しぶりの自転車の導入を決めたのだ。

バイト先のすぐ目の前にあるホームセンターに行き、前々から目星を付けていた自転車を買うことにした。

タイヤが27.5インチで音が鳴りやすいバンドブレーキ、傷ありで5000円割引されていた中国製の自転車。これからずっと付き添っていく相棒としてはカスミのコダックぐらいかなり難ありな条件だったが、バイトに行く以外特に使う用もないのでこれにした。

保険の加入や防犯登録を済まして、ちゃちゃっと購入。

そのまま店を出て、久しぶりに自転車乗る。

自転車の試乗なんてシステムは聞いたことがないのでしょうがないのだが、思っていた倍サドルが固くお尻が痛い。別にそれはいいのだが、漕いでいて気づいたことがあった。

思っていた10倍股関節がしんどい。

自転車で近所を爆走していた小学生、中学生のころは全くそんなことなかったのに、あれから10年ほど経ちあらためて乗ってみると漕ぐときに必要な筋力が衰えまくっていた。

この時に「元気いっぱい漕いでいたころ」を思い出して、少しノスタルジックな気持ちになった。

 

 

ただ、歩くよりも進むのは早いのでスイスイ家へと近づいていく。大通りを漕ぐと歩道では邪魔になるし、車道は交通量が多くて危ないので、あまり人通りが少ない路地を走っていた。

図書館の裏に差し掛かると、植え込みの上にある少し段差になっているところに女子高生が2人立っているのが見えた。何をしているのかと思えばTikTokを撮っていたのだ。常識的に考えれば、公共施設の敷地内で音を流しながら撮影しているのはよくないのだろうが、自分はその2人を見た時に羨ましいと思えた。

「TikTokを撮ること」自体ではなく、「TikTokを撮ろうとする行動力とそれに付き合ってくれる友達がいること」である。自分にはそんな行動力も無かったし、そんな友達もいなかった。「自分はそういうのじゃないから」と反対の姿勢を取って、自己防衛することしかしていなかったと思う。

あっという間に自転車はそのキラキラを通り過ぎ、大通りの道に出た。

反対車線の歩道にまたしても高校生2人が歩いていた。男女の組み合わせでおそらくいい感じなのだろう。寄り添って歩いていた。その後ろで男子高校生の友だちと思われる人物数人がちょっかいをかけていた。

「バイバイ!!」

「バイバイ」

「バイバイ!!」

「バイバイ」

何度もしつこくさようならの挨拶を大声で繰り返し、男子高校生は「もういいって」の顔をして、隣りの女子高生は迷惑だと思いながらもまんざらでもない顔をしている。キラキラだ。モンハンで帰り道とカップルとちょっかいを調合しても同じ結果になるだろう。紛れもないキラキラである。恋人との付き合いは年齢問わずに出来るが、この付き合い方は高校までしか出来ない。同級生の恋愛ニュースに異様に興奮し、当人たちは少しのだるさと引き換えに優越感を手に入れているあの感じ。

高校時代、自分のところには同級生の恋愛ニュースはほとんど入ってこなかったし、自分が付き合っていることも誰からも気にされなかった。

自転車のスピードはそのキラキラを置き去りにして、家路を急いだ。

 

 

人間、いくつになってもないものねだりをしてしまうのだと思う。そして「もう手に入ることがない」と分かった時、急に寂しく感じるのだ。今、貴重な大学生活を送っているのにもかかわらず、ダラダラ家でゲームばかりしていることを4、5年経てばとても後悔するのだろうし、何なら現在進行形で後悔している。抜け出したい。キラキラしたいと思わないし、キラキラできるとは思っていない。キラキラに触れた時、自分が過ごしてきた無駄な時間の虚しさに触れるのを少しでも防ぎたい。

そのために自転車を買った、気がする。