書書鹿鹿 ~かくかくしかじか~

"かくかくしかじか"と読みます。見たもの、聞いたもの、感じたことを書いてます。

大晦日とバイト

 

2022年12月31日、相変わらずめちゃくちゃバイト。

朝7時から午後4時までの予定が、作業場の大掃除に時間がかかり午後5時まで入っていた。

スーパーの青果コーナーで働いているのだが、やはり年末が近づくにつれて客足がどんどん増えていくのが分かった。大晦日なんてあまりこないだろうと思っていたが、朝の開店から退店する17時までレジを待つ長蛇の列が途切れなかった。白菜を通常ではありえないほど発注していたらしいが、ありえないほど売れてしまったので追加でありえないほど発注したらしい。年末は全員が何かとバタバタしていた。

 

 

 

いつから年越しにこだわらなくなったのだろうか?

子どもの頃は、特番だらけの毎日に普段は出来ない夜更かしも相まって、特別感が尋常じゃなかった。その特別感をより味わうために「年越しジャンプ」とベタなことから、兄と一緒に「年越し将棋」「年越しオセロ」「年越しジェンガ」とボードゲーム中心のニューイヤーを迎えていた。今思えば、ボードゲームにことさら特別感はないので何がしたかったのか分からないが、年越しの間に普段やれることをやる尖った思想があったのかもしれない。

それぐらい年越しには特別感を持っていたのに、今では「こっちはもう準備できてるんだから年越しの方から来いよ」と思っている。「ちょっと後輩に気を遣わせすぎ。2000年ぐらい先輩だかなんだか知らないけど、たまにはそっちから楽屋挨拶とか来てもいいんじゃない?」とちょっと憤ってすらいる。

明確に“いつ”というのは覚えていない。けれど明らかに年越しに対して特別感を感じなくなったのは、初めて大晦日にバイトを入れた高校2年生のころだったはずだ。

 

 

 

高校1年生の冬に部活を辞め、趣味に没頭するためにお金を稼ごうと働き始めたのが近所の個人経営の焼き鳥屋だった。時給は800円(当時は合法)。週3で基本3時間と稼ぐには不向きな職場だったが、最寄駅から徒歩30分、住宅街の外れにあったそこはお客がほとんど来ず、仕事は楽だったので全く文句はない。(ただ店長と2人で回す土日は忙しいことがあったし、暇すぎたら暇でしんどかった。) それに、毎回バイト終わりに店長が作ってくれたまかないが美味しかったので、正直『飯食ってお金をもらう』という“ギャル曽根”感覚でバイトに入っていた。

 

高校2年生の大晦日、そのお店はやっていた。

「どれだけお客が来ても3時間で帰っていいから」

バイトが捕まらなくて困った店長からこう言われたのでシフトに入ることにした。

その頃はまだ『ガキ使』も大晦日にやっていたはずで、自分も毎年楽しみに見ていたが、世間ではマンネリ化が囁かれていたはずだ。自分は別に飽きてはいなかったが、「まぁ今年はいっか」とあきらめた。アプリゲームと似ている。あれだけハマっていたのに、1回辞めてみたら意外と平気みたいな。特に問題はなかった。

 

正直「大晦日に誰がこんなとこ来るんだよ」と思っていた。普段から客がほとんど来ないのに大晦日は家でゆっくりしたいだろ。

ただ、意外なもので少なかったが客は途切れることなく店内でご飯を食べていた。客がいない間は店のテレビでゆっくり店長とバラエティを見れるのだが、客が入るとテレビを消して有線に切り替える。

大晦日の特番を見れるチャンスも完全になくなった。

お客さんは仕事帰りのサラリーマンや近所の家族連れだった。パッとご飯を済ませたかったり、家でご飯を作りたくなかったり当時高校生の自分には想像もしたことのない事情がいろいろあるらしい。

 

客数は少なかったので楽な接客を続けているとあっという間に3時間が経った。いつもならバイト終わりは仕込んでいたけど出なかった焼き鳥たちをまかないとしてもらえるのだが、その日は少し事情が違った。

親から「バイトに行くのなら、何本か焼き鳥を買ってきてくれ」と命を受けていたのだ。親から受け取った3000円を店長に渡し、「すみません。3000円で適当に見繕ってくれませんか?」とお願いする。強面の店長だが、「いいよ」と優しく快諾してくれた。

焼き鳥を黙々と焼き場で焼く店長。焼きあがった焼き鳥を市販のプラスチックのタッパーに溶けないようアルミホイルを敷き詰めながら並べていく自分。大晦日でも屈指の地味作業を繰り返し、最終的に20本以上焼いてくれた。

「ありがとうございます!親も喜びます!」と言ってテイクアウトした焼き鳥を持ち、家路に着こうとすると店長に呼び止められた。

「はい」

そう言って、2000円を渡して来た。

「これ、何ですか?」

「おまかせは1000円でいいよ。あとの2000円はほりい君にあげるから自由に使って」

「ありがとうございます!」

「お年玉っていうことで」

店長の粋なプレゼントだった。年越し前にお年玉をもらうのは不思議な感覚だったが、特に期待していなかった大晦日だけに結構嬉しかった。

大晦日の思い出だ。

 

 

 

あれ以来、大晦日は特に変わったことはしなくなった。毎年、自分の家で年越しそばは食べるが、慣例みたいなもので、あのころみたく『年越し○○』もやっていない。大晦日はいつもと変わらずダラダラしたり、バイトに行ったりして『ももいろ歌合戦』で締めくくる。

気づいたら年越してるくらいがちょうどいい。

あのときは貰っていたお年玉も、今ではあげる立場になってしまった。

正月、やだな~

 

 

 

正月、やだな~

(大事なことなので2回言いました)

 

今年はこのブログを始めたり、恋人が出来ていなくなったり、バイトを始めたりといろいろなことがありました。

来年はいよいよフリーター生活に突入。

なんとか充実できるように、いろんなところに行くつもりです。

これを読んでいる稀有な方々。

よいお年を!