アホキャラで行き過ぎた~。
今のスーパーの青果バイトを始めて、もうすぐ1年が経とうとしている。
前のバイトから2年半ものブランクがあった中で始めたバイトは、“早朝から勤務が出来る”という点だけで選んだ。当時、不規則な生活になりがちな春休みに自分はなぜか規則正しい生活を送っており、朝は7時前に起床する“余生の目覚め”を実践していた。実を言えば眠る体力すらなくなっていただけだったが、いつの間にか朝が強くなっていると勘違いした自分は、早朝バイトを探し始めた。単に“朝が強いから”という理由だけでなく“夜からバイトがある・先々の予定にバイトがあると憂鬱になるから”という理由もあった。早朝だと強制的に「起きてすぐに行かなければいけない」の状態になるため憂鬱な気持ちになる前に無理やり働ける。それがありがたかった。
本命だった某ドラッグストアの品出しは落ちたものの、すぐ切り替えて今のバイト先に応募し、見事採用されることとなった。
バイト募集のページに書いてあった業務内容は「袋詰め」「品出し」「加工」ぐらいだったので、野菜の知識もなければ非力な自分でも働けるかなと思っていた。
しかし、実際はもっと細かい業務があった。
「ポップ作り」「検品」「荷下ろし」「清掃」
聞いていた話と違うぞ。
野菜の種類も多ければ、サイズによって加工の仕方も値段も陳列場所も変わってくる。覚えることがあまりにも多すぎたのだ。しかも、仕事は基本的に指示されず、自ら見つけてやらなければいけなかった。
その環境で働き始めてすぐ、自分はこんな感情になった。
「いや無理すぎる!」
はじめのうちは「必死に覚えて役に立つぞ」と意気込んでいたが、誰も何も教えてくれない環境に身を置いていると次第に「諦めよう」にシフトしていっていた。
そして、自分のスタンスが『必死に覚えてテキパキ働く』からいつしか『覚えの悪いフリをしてその都度教えてもらう』へと変わっていってしまったのだ。
毎度毎度バイトに入る度にアホなフリをして、「これってこうでしたっけ?」とか「こうやっちゃいました」とか言って、仕事の出来ないキャラで乗り切っていた。
先日の正月明け初めての勤務の時だった。
休憩が終わり、午後からの仕事がスタートとなったのだが、作業場にはいつも山積みになっている野菜のダンボールが一つもなく、売り場もいっぱいになっていた。正月明けは買い物客も少ないうえに、農家も正月は休むので買い付けもそこまでできないらしい。
完全に持て余した。
ただ、何もしていないのは一応申し訳ないし、時間が過ぎるのも遅いため、いつものように店長に何をすればいいかを聞きに行った。
すると、店長は「いつも聞いてくるけど、僕だって全ての業務を把握してるわけじゃないし、いちいち指示してられない。自分で探してくれ。」と言った。「1年近く働いてるんだから、もっと自分で考えて行動しないと」とも。
ごもっともだと思った。
というか、3ヶ月前ぐらいにも同じことを言われていた。が、ここ最近自分のことを考える機会が多くなり、言葉の響き方が変わっていた。
めちゃくちゃ反省した。
「約1年間何をしていたんだろう?」と。
その数日後、大好きな芸人である街裏ぴんくの生配信を観ていた。漫談3本・アーカイブ無しのストロングスタイルの生配信の2本目のネタの語りだし。
「アホキャラでいきすぎた」
ネタの内容は歯医者に初めて行った時からアホキャラでいってしまったために歯医者になめられるという嘘漫談なのだが、自分にドンピシャの言葉が見つかったと思った。
小学生の頃から自虐をよくする子だったと今になって思う。それはいじられキャラだったり周りに対する劣等感を人一倍感じていたからだ。自分が出来ないことを自ら公表して、自らを落とし相手の気持ちを害さずに場を盛り上げる。
この手法がクセづいていた。
それのタチが悪いのが、高校生あたりから自虐に飲み込まれて本当にできなくなってしまったことだった。中学までは自虐を言いながらも「実は出来る」キャラを狙っていた。事実、勉強もそれなりに出来たし、運動もサッカー部でレギュラーを張るぐらいには出来た。自虐をハードル下げるために有効活用出来ていたのだ。しかし、高校あたりからそのネガティブな感情が増していってしまった。「俺は出来ない」に始まり、ゴールは「しょうがない」と開き直った。学力はグンと落ちたし、部活もやめて運動もしなくなった。つまり「何もできない」と自虐をしていたら、何もできななくなってしまったのだ。
アホキャラを演じれば、楽だったのだ。
周りの人はバカにして笑ってくれるし、自分のできない言い訳にもなっていたから。
それに今気づいてしまった。
人生アホキャラでいきすぎた。
これはヤバい。