昨年(今年)は年賀状を1枚も書かなかった。
幼稚園の頃に、親の見よう見まねで当時仲が良かった女の子に書いて以来、毎年同級生だったり先輩・後輩、担任の先生やお世話になった習い事の先生に書いていたが、とうとう昨年(今年)は0になった。
年賀状が来れば返すで延命していた関係性もあったのだが、それもほとんどなくなった。今年届いた年賀状は、小学生の頃の音楽の先生ただ一人だった。なぜ、それほど関係性がなかった音楽の先生に年賀状を送ったのかも分からない(1人1人に送っているわけではないので多分こっちから送り始めた)し、それが未だに届くのかも分からない。多分自分のことも覚えていないと思う。もう書くことも無いから、ずっと「お元気ですか?」しか書いていない。年1井上陽水
こっちから送ることはもうないと思う。自分と関係性を持っている人は現在進行形で会う人なので送る必要が無い。というかそもそも住所を知らない。わざわざLINEで聞くぐらいなら、年明け1発目に会った時に挨拶をした方が効率もいいし余計な気を遣わなくて済む。文化が廃れるからやった方がいいのだろうけど、自分は相手が受け取った時の感情を気にしてしまうのであまり乗り気にならない。
2023年に入ってから2週間ほど経ったタイミングで、後輩から「年賀状要りますか?」と聞かれた。シンプルに「どういうこと?」と返した。年賀状は基本的に元日に届くものだ。12月の25日までにポストに投函しないと元日に届かないと言って、焦って書いた記憶がある。それでなくても年末、もしくは年始に書いてポストに投函するのが定番だ。
「10枚買ったんですけど、結局2枚しか使わなくて余っちゃったんでいりません?」
そう言って、カバンの中から年賀状を数枚取り出した。
「え?今持ってるの?」
どうやら、余分に買いすぎてしまった年賀状がもったいなかったので、全部違うデザインの年賀イラストを残った8枚に書いていたらしい。それを年明け会った人に手当たり次第配っているというのだ。
なんだかバレンタインデーみたいな配り方だなと思った。
本命こと関係性の強い人間にはポストに投函して年賀状を届けて、「作りすぎちゃった!テヘッ!」の年賀状を義理である関係性の薄い人にあげる。宛名の書かれていない裏が白紙の年賀状は、誰にでもあげられる用の装飾のない透明のビニール袋に入った義理チョコレートのようだった。
自分はありがたく“義理年賀状”を受け取ることにした。義理チョコと少し違うのは、宛名こそないがデザインが使いまわしではなく全て手書きなので唯一無二性があること。しかも、その後輩はデザイン系の学部に所属しているのでどれもクオリティが高い。自分はババ抜きみたく持たれた数枚の年賀状の中から真ん中にキャラクターが描かれた年賀状を選んだ。
うさぎ年ということもあって、おそらくうさぎが中に入っているであろうシルエットをした、白い布を被ったゴーストのキャラクターだった。イメージで言えば、自分が好きなイラストレーター・もくもくちゃんのなでうさみたいなヴィジュアルだった。
カワイイ見た目だったので気に入って選んでしまったが、よく見れば上下に書かれた文章に少し違和感を感じた。
「あけおめ!」
「今年もよろしくね~ 仲良くしてちょ~」
めちゃくちゃタメ口だった。誰にでもあげれるの選択肢の中におそらく先輩がいなかったのだろう。「…してちょ~」なんて舐めた語尾を今までの人生で誰からも言われたことがなかったのに、まさか初めてが後輩の女の子だとは思わなかった。
もちろん、このタメ口に関して
「てめぇ、目上の先輩に向かってなんだこの舐めた言葉遣いは!?あぁぁん!!」
みたいにブチギレることはない。むしろ嬉しかった。同級生からも届かなくなった哀れな自分に年賀状をくれるだけで大感謝だ。
ちなみに普段から多少舐められているので、正直あんまり違和感もなかった。
年賀状を郵便局やらで購入して、デザインをテンプレートから選んで、12月25日までに書いて、ポストに投函する。めんどくさがりの自分にとってはかなり苦痛だ。
ただ、手書きの年賀状を貰った時の嬉しさを自分は知っている。今回は著作権フリーみたいな“義理年賀状”だったがそれでも十分嬉しかったし、今まで貰ってきたものも自分のことを少しでも考えてくれているのが分かるので、貰うたびニヤつきが止まらなかった。
年賀状を書くことはめんどくさいが、相手のことを想う時間を確保しているのだと考えれば悪くないかも。
今年(来年)は書いてみようかな。
↑ 実際のやつ