書書鹿鹿 ~かくかくしかじか~

"かくかくしかじか"と読みます。見たもの、聞いたもの、感じたことを書いてます。

お花見の思い出

 

地元では、桜がちょうど満開の季節を迎えている。

2、3日前にバイトのゴミ収集で作業場に帰る時は、まだ綺麗に咲くどころか何年もそこに根付いた太った木のこげ茶色しか見えなくて、一緒に乗っていた社員さんと「いつ頃咲きますかね?」なんて話をしていたのに、あっという間に白とも淡いピンクとも言える花びらを精一杯広げていた。

「ついこの前会った時は可愛らしかったのに、見ない間にかたくましくなって~」

親戚の子どもの成長に驚くおじさん・おばさんはこんな気持ちだろうか。

あっという間に綺麗に咲いてあっという間に散っていく。その儚さ故、「桜」という曲を誰もが歌いたくなるのだろう。

 

 

 

今日はたまたま昼過ぎから図書館に行っていた。特に読みたい本があったわけではないが、家だと集中して本が読めないので自転車を漕いで5分。西加奈子の「食」をテーマにしたエッセイが面白そうだったので、小一時間(2時間程度)椅子に座って本を読んだ。

『ごはんぐるり』を読み切ってもう1冊読もうかと思ったが、結局集中力が切れてしまい断念。他の「食」をテーマにしたエッセイを何本かと親に頼まれていた予約本を借りて図書館を出た。

空調が効きすぎて足元が寒かったせいで鼻水と震えが止まらなかったが、暖かい日差しとそれによって暖められたサドルが震えを止めてくれる。自然界の豊臣秀吉。サドルを温めてくれてありがとう。

図書館からは住宅街の裏を通れば5分程度で帰れたのだが、今日は天気も良かったので川沿いの桜を見るために少しサイクリングすることにした。

平日の昼間であったが、老若男女あらゆる人が川沿いの小道を散歩していた。

ゆっくりと歩く老夫婦。

犬の散歩がてらの家族連れ。

若いカップル。

制服を着た女子高生2人組は桜をバックに写真を撮っていた。卒業式も終わったのだろうか。青春の幕開けと締めくくりにはもってこいの花が咲いていた。

散歩している人だけではない。花見をしている人も数組見受けられた。

普段からその道はよく通るので、「いつもならポイ捨てまみれの道によくもまぁ」と思うが、レジャーシートを敷いて団らんを過ごしている人を見てなんだか温かい気持ちになった。

 

 

 

自分が初めて花見をしたのはいつだったろう?

思い出せるのは幼稚園の頃。幼稚園以前から仲の良かった友達とその親たちで、家からは少し離れた大きな公園に行った記憶がある。そこも春になるとたくさんの桜が花開き、お花見スポットとして地元では有名だった。

おそらく保護者たちは一番桜が綺麗な時期に連れて行ったのだろうが、幼稚園児だった自分にはまったく興味がなかった。桜よりも公園のアスレチック、お弁当のから揚げ、遠足でしか食べない小さい袋が5つ繋がったグミ。「花より団子」真っ盛りだった。

 

 

 

そもそも花に興味を持ち始めたのも最近だ。

昨年、付き合っていた彼女とは自然に良く触れに行った。自分があまりお金を使いたくない守銭奴ケチ野郎なので、安上がりな公園や植物園に意識的に出向いていた。(後にそのケチが原因で別れることになった)

植物園なんかはきちんと職員の手によって管理されているから、さまざまな種類の花たちが出迎えてくれた。春から少しずれていたので桜は咲いてなかったけど、見た目が面白い花や名前が個性的な花について風が気持ちよく吹いたベンチで楽しく話した。

その後、春になってから大阪では有名な造幣局の通り抜けを見に行った。川沿いにそって延々と続く桜の下をだらだら喋りながら彼女と歩いた。そのとき撮った写真は1年経った今でも鮮明に思い出すほど、鮮やかな色をカメラのフォルダの中で放っている。

大阪城公園で見た夜桜も印象的だった。陽に当たった淡い色合いとはまた違って、暗闇の中でほんのり存在感を示す桜はこれもまたいい思い出の背景になっている。春の少し冷え込んだ夜でも、レジャーシートを敷いて花見をしている団体があちこちにいた。

おひとり様、カップル、友人、会社の繋がり。

人によって夜桜の思い出は違っている。

 

 

 

結局、お花見の思い出は花の思い出ではなく、人との思い出が強かった。花を見て純粋に「綺麗~」なんて言える心の清らかさは、残念ながら薄い。今日見た桜の下にあった川と同じくらい薄汚れてしまっている。

それでも今日見た桜は一人で見ても綺麗だった。「こういう時に写真を撮っていればブログのサムネイルにも使えたのに」と後悔する自分もいるが、「記録に残さないのも乙でいい」と思える自分がいる。近くで見れば美しい白さが輝き、遠くから見れば花びらの群れが淡いピンクを放つ。まじまじと桜をみることなんてなかったので、サイクリング花見は意外と成功だったのかもしれない。

川沿いの公園にあった低い鉄棒で一心不乱に懸垂をしていたおじさんにも、きっと桜の綺麗さは届いているはずだ。