昨年の夏ごろから家庭菜園をしている。
きっかけは
・スーパーの青果で働いていて野菜に興味があったから
・就活をしておらず暇だったから
・単純に鍋が食べたかったから
と、どうしようもないラインナップである。
元々、家の裏には家が4、5軒建てれるほどの土地があり、20年前までは祖父が畑仕事をしていた。しかし、祖父が腰を痛めてからは無法地帯と化しており、雑草たちが何度も成長期を迎えていた。土地を売り払って家を建てれば楽なのだが、建築法や条例的に道路からある程度離れてしまった場所の建築はダメらしく、手に負えない場所になっていたのだ。
そこで、社会性のない時間を持て余したドラ息子の登場である。就活のしていない大学4年生の夏休みを利用し、毎日毎日20年放置された畑を地道に開墾していった。20年放置していただけあって手ごわく、1か月の労働でコンビニの雑誌コーナーぐらいの幅しか開墾できなかった。それでも、一家庭で必要な冬野菜を育てるには十分で大根と水菜、白菜を育てることが出来た(大根は直播き+間引き無しで特大失敗した)。
その後、ほうれん草や小松菜も育て、今は農地を拡大し夏に向けてじゃがいも、にんじん、ミニトマト、オクラなど手広く育てようとしている。
家庭菜園を始めて約1年になるが、20年耕作放棄地だった土地を開墾して思ったことがある。
日本語ってよく出来てるな~
である。
肉体労働で黙々と作業する農業において、なぜ日本語の素晴らしさを再確認するのか分からないだろう。ただ農家や家庭菜園をしている人なら分かってくれるはずだ。
自然系の言葉の本当の意味を理解した気がする。
今回は身に染みて分かった、日本語の“例え”の凄さを3つ紹介する。
『雑草魂』
「踏まれても踏まれても立ち上がる、雑草のように」
こういった諦めない姿勢のことを『雑草魂』と呼ぶことがある。
耕作放棄地の草刈りをして分かった。
本当の『雑草魂』、えぐすぎる
家庭菜園を始めようとした初夏、あまり機械に頼らないでおこうと手刈りで雑草を刈っていた。まずそれだけでも骨が折れる。ひとしきり刈り終わり、土を耕し、畝を立てて、野菜の種を蒔く。そうすれば、他所の畑でよく見るようなキレイな畑になると思っていた。しかし先に芽を出したのは、野菜ではなく雑草のほうである。
「お前、刈りとったじゃん」
綺麗に整備したはずの畝から何体も雑草が生えてくる。抜いても刈ってもきりがなく諦めることにした。“根負け”である。
また今年は親が本腰を入れて、エンジン式の草刈り機を導入した。家の畑は近隣の家に面しており、雑草が伸びる度にクレームを受けていた。そのため電動の草刈り機は持っていたのだが、それだけでは親の腰に負担がかかるし、何より時間がかかる。よりスムーズに草刈りをするためにガソリンで動く草刈り機をわざわざ買ったのだ。
使用してみると驚くほど草が綺麗に刈れて、タイヤもついているので押すだけで一直線に地面スレスレまで刈ってくれる。これまで何時間もかけていた作業があっという間に終わり、家族総出で喜んでいた。
しかし、1週間後畑を覗いてみると、あれだけギッタンギッタンのメッタンメッタンにした雑草たちが何事もなかったかのように成長していたのだ。エンジン式の草刈り機という絶望を与えたとしても、雑草たちは繁殖するために希望を捨てることはない。
雑草魂、見習わなければならない。