『根深い・根強い』
一筋縄では対処できないような何か深刻な問題が起きた時、それを『根深い』と呼ぶ。
また、揺らぐことのない人気がある場合、よく『根強い』と評される。
この言葉を侮っていた。
これまでも雑草と相対することがあった。墓掃除である。
定期的に墓参りに行く際に、先祖のお墓の周りに生えている雑草を根こそぎ抜いていた。正直、雑草の弱さにあきれていた。根元から引き抜けば簡単に根っこからスポスポ引き抜けたし、どれもひ弱なヒョロヒョロ野郎だったからだ。しかし、それはあくまでも砂利が弱体化させていくれていただけの話であった。
20年の間に「北斗の拳」よろしく世紀末になり果てていた耕作放棄地の雑草たちは、徒党を組んだり身を守るために武装したりと、お墓周りに生えていた温室育ちの軟弱野郎とははるかにレベルが違っていた。手で根っこごと引き抜けていた雑草はどこにもなく、引き抜こうとすれば表面でブチブチと切れたり、「おおきなかぶ」のクライマックス並みに引っ張らないと抜けないものもあった。ほとんどはエクスカリバーで斬らなければ(意・大きいスコップで掘り起こさなければ)太刀打ちできない。
ただ、そのエクスカリバーでさえ太刀打ちできない雑草もあった。掘り返せば、「もう木の枝じゃん」となるようなものや「いや、もう幹じゃん」となるものもあった。何度も繰り返していくうちに慣れすぎて「ミキじゃん、また会ったね」と大学のキャンパス内で会った友だちみたいな挨拶をする始末である。
根っこが深すぎて全く解決しないし、根っこが強すぎて一度小さいスコップは逆側に折り曲げられた。
『根深い』『根強い』はちょっとやそっとじゃ動かないのだ。
『草の根運動』
政治の世界ではよく聞く言葉である。(もちろん自分は政治に世界には一切関わりはない)
表立った活動とは別にこっそりと有力者に“根回し”し、“地盤”を固めていく運動のことである。自分の家には来ないが、今働いているバイト先と懇意にしていた社長が市議会議員に出馬した際、選挙カーをわざわざ降りて挨拶をしに来た。これぞ草の根運動である。
草の根運動の凄さを知らしめられたのは、スギナである。
自分は家庭菜園をするまで畑に近寄ることもなく、草刈りもしてこなかったので雑草に対する知識が一つもなかった。実際始めてみても名前は分からないが、唯一見た目も名前も完全に一致するやつがいた。
スギナだ。
葉っぱを広げて光合成をし、メキメキと実力をつけていく周りの雑草に対し、スギナは細くて多い。葉っぱという感じではなく生え方はキノコの部類に近いのではないだろうか。このムーミン谷のニョロニョロみたいなやつがとにかく厄介。
まずは抜いてもすぐに切れる。
地表に現れる度に一つずつスギナを抜いていこうとするのだが、地面スレスレを持って抜いたとしてもすぐに切れてしまう。根っこまでは引っ張り出せないようになっているのだ。少し掘って根っこ事行こうとしてもブチブチと切れてしまう。手ごたえはあるのに致命傷を負わせることが出来ない。トカゲのしっぽなのだ。
次に根っこが深すぎる。
地下茎と呼ばれる根っこに栄養を蓄えて繁殖するのだが、その地下茎までたどり着けない。一度、近所で農業を営んでいるおじさんにどうすればいいか聞いたところ、「人力じゃ無理。ユンボとかのショベルカーで文字通り“根こそぎ”いかないと」と言われてしまった。もちろん道路から大きく離れた土地なので重機の参入は不可能。よってお手上げなのだ。
何とかスコップを使って奥まで行こうとしても、本当に本体が見えない。ドラマ『ブラッディマンデイ』のハッキングシーンでもこういうの見た気がする。一番侵入したい場所にセキュリティがかけられていてたどり着けないみたいな。
最後に繁殖力が異次元。
先ほども書いたが、地下茎に栄養を蓄えて節から地下茎を伸ばし繁殖するので、手の打ちようがない。抜いたところから生えてくるし、マルチで日を遮っても土から顔を出す。もぐら叩きよりも飲み会におけるガーシーよりもひょこひょこ顔を出すのだ。
根っこをどんどん広げていろんなところに顔を出し、輪を拡大していく。
スギナはこれまで挙げた『雑草魂』『根深い・根強い』そして『草の根運動』の全てを体現した雑草である。
他にも日本語の言葉や慣用句の中には、
『根に持つ』
『破竹の勢い』
『根も葉もない』
などさまざまな表現がある。
ネットスラングの「草生える」なんて、「一度生やしたら大変なことになるぞ」と思う。ただちに除草剤を撒いてほしい。
これらのように、畑仕事・家庭菜園をしたことで日本語の秀逸さに気づくことが出来た。言葉を考える人は偉大である。