先日、小中時代の友人とご飯を食べることにした。中学卒業後は疎遠になっていたのだが、ここ最近になって急に連絡が来たことで2、3か月に一度会うようになっている。ペース的には遅いかもしれないが、互いにダラダラ過ごしており代わり映えのない日々を送っているのでこれぐらい空けなければ話すことがない。
今回は自分からご飯に誘った。突如、親が旅行に行くことになり、3日間だけの一人暮らし体験をすることになったのだ。別に自分もバイトがあったりしたので家にずっといるわけではなかったし、日ごろから昼ごはんは自炊をしているので食事にも困らない。しかし、3日間昼夜のご飯を作るのはさすがに面倒だ。なので中日の2日目に友人を誘うことにしたのだ。
当日の17時、お互いの家のちょうど中間点にある駅に集合した。駅の隣にある謎の扉におばあちゃんが2人吸い込まれていったのでその行方を探った後、友人に2つの選択肢を迫った。
- 近所の美味しいうどん屋に行く
- スーパーで材料を買い込んで家で食べる
「さぁ、どっち?」
関口宏・三宅裕司さながら2択を迫った。ご飯に誘ったのにもかかわらず、近所にいい店が見つからず、さらにどうせ食べ終えたところで自分の家に行くことは決まっていたのでどっちでもいいかなと当日まで決めなかったのだ。
友人は結局②を選んだ。
ご飯を作りたくないから友人を誘って出かけたのに、一転して人生で初めて人に食事を振舞うことになった。昼ごはんも毎日作っているが、自分しか食べないので多少雑に作るし、時には手抜きで済ますことだってある。急に緊張し始めた。
家で作ることになった瞬間、献立は真っ先に決めた。
『白ご飯』
『砂肝のトマト煮込み』
『アジのなめろう』
自分が昼ごはんで作って「これなら人に提供しても恥ずかしくないな」と思える出来だったからである。というか持ちうる手札がそれしかなかった。ハンデスが酷すぎる。
砂肝は事前に買って冷蔵庫にあったので、帰りのスーパーではアジの刺身を買った。
家に着くなり準備を始める。
晩ご飯まで時間がかかるので、まずはウェルカムドリンクとしてスムージーを振舞うことにした。バナナ・ストロベリー・ブルーベリー・ほうれん草と豆乳・水・氷を入れて混ぜる。久しぶりに作ったので、完成したスムージーは少し薄かったが飲みやすく友人にも好評だった。
調理開始。
まずは砂肝の下処理。毎週必ずバイト帰りにスーパーによってデカパックの砂肝を買って帰る不審者なので、処理には慣れているがそれでもかなり時間がかかる。ずりの部分と銀皮の部分を切り分ける。
あとは玉ねぎ、ジャガイモ、マッシュルーム、にんにくをカットしオリーブオイルで炒めてからトマト缶をぶち込む。真っ赤でドロドロした湯船に材料たちを浸からせて、入浴剤感覚でキューブ状のコンソメを投入し味をつけていく。
煮込んでいる間になめろうの準備。
まな板の上に買ってきたアジの刺身を並べぎったんぎったんのめったんめったんに叩いていく。カウンターで包丁を何度も振り下ろす友人が怖かったのか、急にテレビで『相席食堂』を見始めた。賢明な判断である。
叩き終わったアジをボウルに入れ、味噌と醤油、しょうがとねぎを投入し混ぜ合わせる。以前なめろうを作った際はカツオの刺身で作ったのだが、その時とは全く違いアジは粘り気が強かった。菜箸で混ぜ合わせている時もずっと「ネチネチ」言ってくる。お局か。
味見をして『砂肝のトマト煮込み』も『アジのなめろう』もいい感じだったので、いよいよ実食。しかし、お皿に盛り付けてお盆に並べた瞬間、特大のミスを犯していたことに気が付いた。
「食べ合わせ悪くね?」
洋風の『砂肝のトマト煮込み』対して、ごりごり漁師飯の『アジのなめろう』
米に合わせることに特化しすぎた。
どちらも美味しいことには変わりないが、トマトがしみ込んだ赤箸でなめろうをつまみたくないのも事実である。
白・赤・茶の3色でまとめあげたご膳を友人に提供する。
この時点で調理開始から1時間30分、時刻は20時になっていた。『相席食堂』の西川忠志とフワちゃんはとっくにロケを終えていた。
「いただきます」
そう言って、友人が『砂肝のトマト煮込み』に手を付ける。まずはじゃがいもから。砂肝からいってくれよ。
「美味しい!!」
そう言ってくれて安心したと同時に、めちゃくちゃ嬉しかった。人生で体験したことない未開の喜び。それぞれの分野で多少なりとも褒められたことはあるが、料理に関しては一度も褒められたことがなかった。人に振舞ったことがないからもちろんなのだが。
それが初めて手料理を振舞って「美味しい!!」と感想を貰うことが出来た。大成功である。
なめろうにも箸を移動させる。
「初めて食べたけど、好きな味かも」
自分にとって料理を振舞うことは初めての経験だったが、友人にとっての初めても与えることができた。
「ごちそうさま」
結局、友人はそのまま美味しそうに完食してくれた。
「美味しい」
誰かが作った食べ物を口に運んで、お腹も心も満たされる。この喜びは自分だけのものだと思っていた。
しかし、今回「美味しい」と言ってもらえたことで、作り手も幸せな気持ちになった。思えば、高校生の頃働いていた焼き鳥屋でも、帰り際にお客さんが「美味しかったです」と言ってくれた時は別に自分が料理を作っているわけではなかったが嬉しい気持ちになった。
「美味しい」の幸せはシェアできるのだ。
毎日、親は晩ご飯を作ってくれているが、自分にとっては当たり前のことでレパートリーも増えるわけではないのでわざわざ口に出して「美味しい」という機会はほとんどなかった。
ポジティブな言葉は周りを幸せにする。
口に出すことが大事だと思った。